FIWCワークキャンプ感想文&コラム

2007年夏キャンプ

荒木津香佐「頭の中のシューティングスター」

2007.09.30 UpDate

帰国して

 日本に帰ってきて友達に会うと、まずはじめに話すのは夏休みの話題だ。そのときに「夏休みになにしてたの?」って聞かれると、「フィリピンにボランティアに行ってた。」って答えているのだけど、何だかこの台詞が立派すぎて、セリフだけが宙に浮いているようで違和感を覚えてしまう。“ボランティア - 自ら進んで社会事業などに無償で貢献する人(広辞苑)”確かに社会事業をしに行ったと言えるんやけど、しっくりこんなぁ。


 そう感じるのは、向こうに行って自分がしたことよりも、ワークキャンプで与えてもらったことのほうが遥かに大きいと感じているからだろう。むしろ与えてもらってばかりだったような気がしてならない。だからこう考えている、夏休みを使って、言葉に表しようの無い経験と、かけがえのない思い出をいただいてきたのだと。



共同生活

 私はボランティア活動も国外脱出も初めてで、そもそも家族以外の長期旅行すら初めてという、数え上げていったらきりが無いほど初めてづくしのフィリピンキャンプだった。何もかもが新鮮で、驚きで…。そんな中でも強烈だったのが、日本人キャンパーの個性である。やはりボランティアに来ようなんて人は一筋縄ではいかないのか、初めての人種が多かった。共同生活は、キャンパーの個性の応酬であったと思う。まず参加目的からして一人ひとり違って、みんなそれぞれの考えを持っていて、その考えに基づきながら行動をして…。個人プレイなんて日本でも誰もがしている当たり前のことであるけれど、いうならば外国という異空間の中で、20数人の日本人が共同生活をするとなると、話は違ってきて、時にはまとまりが必要なときもでてくる。毎晩開かれたミーティングは、その時は気づかなかったけど、個性の応酬が一番目にみえる形で表された場であったと思う。それぞれの意見はどれも筋が通っていて、何通りも答えがあって、『正解も不正解も無い状況』の中、みんなで答えを探ろうとしていた場だったと感じた。私は積極的に参加できなかったのだけれど、みんなの多種多様な意見を聞けて、「そんな考え方もあるのか」と考えさせられるこの連続だったから、答えを見つけることよりも、模索する過程を目の当たりにできたことが私にとって重要だった。


 せやけどキャンパーから教わったことは、ミーティングだけやなくて、普段のなんでもないことからのほうがたくさん。私の固ったい頭の中にいろんなもんがぶち込まれた。広い視野を持つってこういうことかと何度思ったか。自由奔放さ、話し方、盛り上げ方、なんでもない気配り、なんでもないけど笑わせられる行動、舞台裏での努力…う~ん書き上げるときりが無い。


 一番見習いたいって思ったことは“楽しむ”ことが基本ってことかな。うっとうしいこと考えて落ち込んどるとき、馬鹿やって楽しめたら忘れてしまえる!!体で実感しやした。あと二、三年後でこうなれっか…焦点でふ。



自分と向き合う

 正直な話、キャンプ中に日本に帰りたいと思ったり、地の底まで落ち込んだことはあった。それは何よりも自分に嫌気がさしたからだ。フィリピンキャンプでは普段の生活では出ないような人間としての自分がむき出しになって、人として醜い部分が表に出てきくることがあった。上手くいかない、直視したくない事実…でも地の底までいきつくとあとは上にあがるだけ、自然と嫌な自分と対面せざるを得なくなった。今思うと、地の底まで落ちたときがもっとも頭を働かせたときかもしれない。明確な理由は分からないが、色んな事が頭に浮かんで、色んな事が目について…初めて自分の意見が生まれた。


 余裕がない時ほど、人の意見に熱心に耳を傾けるものなのか、いつも以上に真摯に受け止められた。大失敗もした、でもそれを何とか挽回しようと必死になった。必死になると、普段考えているつまらないことに気を配る余裕がなくなるからか、思いもしない行動をとった。自分の現状を知れた分、今できることをしようとしたり、その中で知らなかった自分に出会えたり、色んなアドバイスが貰えたりしたのはほんとに収穫だ。


 いや~このままではまずいわ。日本語教室から始めまひょ。



フィリピンーナ&フィリピーノ

 初めてボニファシオに着いたとき、“What your name?”の嵐だった。道を歩いていたら“Are you going?” “Drink トゥバ!”と声をかけられた。日本人に、自分に興味を持ってくれて話しかけてもらえるのが嬉しかった。


 英語が喋れないというのがネックになっていて、最初は自分から進んでフィリピン人たちと絡むことができなかったのだけれど、子供たちとは他愛のない追いかけっこや、ゲームなどでコミュニケーションが取れる、言葉だけじゃなく歌やダンス、カラオケで一緒に楽しむことができるということがだんだんわかってきた。


 それでもホームスティ中は、英語がペラペラな一家だったので、加奈子の後をついて回ったりしたのだけれど、電子辞書を片手にこちらが必至になって喋ってみたら、向こうも熱心に聞いてくれたりして、楽しい時間を共有することができた。英語のせいにして、チャレンジすることから逃げていたらダメだと、もったいないことだと実感したことでもあった。そしてちょっとしたことなのだけれど、みんながスティ先のことを『家』と呼び、『うちの』ナナイ、タタイと自然と呼んでいたのが、フィリピン人での『家』ができたみたいで嬉しく思った。他の町に買い物に行っても、ボニファシオに『帰る』という感覚がほんとに自然と生まれてきて、早く村に帰りたいと思うときもあって、ほんとに馴染んでいるのだと実感した。日本に帰る日が近づいてきても、出発日の前日になっても、出発する瞬間までも、あの村を出ていくってのが理解できなくて、実感が全く湧かなくて、また起きたらあの村にいる気がして、それぐらいあそこにいるのが自然になっていた。


 子供たち、タタイ、ナナイ、バランガイオフィシャル、メイヤー、カーペンター、先生たちなどなど、ボニファシオの人々には食事・カリーゴといった生活面は勿論、目に見えないことで、溢れんばかりの親切を私たちに与えてくれていた。ただそうした親切に私個人が、充分にお返ししきれていない気がして、そのことが心残りでならない。でも、申し訳ないと思う以上にアリガトウの気持ちでいっぱいである。こんなに英語が喋りたいと思ったことはなかった。ちゃんとした言葉でお礼が言えたのなら。いや、大事なのは言葉じゃないと分かってはいるけれど、次は少しでも言葉で話せたら…。どうしてあんなに親切にしてくれたんだろう…どうしてあんなに愛くるしいんだ子供たち!!村人全員にリメンバランスを挙げるのは不可能やけど、その感謝の気持ちを「ありがとうパーティ」で少しでもは表せられていたら嬉しいことこの上ない。


 村人との交流に関しては、後悔していることがたくさんあるので、次こそリベンジ!!ハートで遠慮なく突っ込んでいくのがなによりってことやね。お酒強なって、英語がlittle上達して…努力!!おまけに、まさかフィリピン人との人間関係で悩むとは思わんかったわ。随分悩んだけどそれもまた思い出…。私のブロークンもいいところの英語に付き合ってくれてほんまにありがとう。



流れ落ちないもの、消えないもの

 目を粒って、ボニファシオの村の様子を思い浮かべる。村の入り口から出口まで基本は一本道だ。星を見上げた道路から始まり、バナナチップス&ココナッツスティックのサリサリ、ナナイ・ビリー家、インデット家、日本人が毎晩現れた酒屋さん、突然乱入した少年の家…と道をたどっていけばそれぞれの場所に思い出がある。ほかにもワークでくたくたになった後に子供と追いかけっこをしたり、ビールに挑戦したり、ダイアリーアになったり、sour eyesで顔ぶっつぶれたり、病院騒動があったり、ソーラン節で異空間に飛んだり…と思い出を数えていったらきりがない。一ヶ月間、ずっと楽しかったわけじゃないけど、イライラしたり、落ち込んだり、諦めたり、と後ろ向きに進みそうなときもあった。正直、充実している期間よりも後ろ向きの期間のほうが長かったと思う。それでも記憶の中のフィリピンキャンプは本っっ当にキラキラしてる。


 最初の一、二週間はものすごく長く感じた。でも九月あたりからあっという間に時間が流れて行って、「楽しい!ずっといたい。」と心底思えるようになったころに帰国だった。日本に帰ってきて、あっという間に元の文明生活になじんで、学校が始まって…日々の生活を送る中で、だんだんフィリピンでの記憶が、鮮明度が落ちていくのが避けられない。一つひとつの思い出は、ボニファシオの満点の夜空の流れ星みたい。私の頭のなかをすっと駆けていきそう。それでも、時間が経ってもずっと輝いているものがある。たとえ日本人がいなくなっても、ヘルスケアセンターはずっとあそこに建っている。今日もまた、Drリトが妊婦さんの診察にあったっているんだろうか。赤ん坊が産声を上げているんだろうか。たとえ、村に日本人がいなくとも、あそこに私たちがいたことは村人の記憶に絶対残ってる。そして私も夏キャンプのことを一生忘れない。


 言葉には表せないものをたくさん貰ってただただ感謝です。いっぱい与えてもらったから、それをどう生かしていくかは私次第…。

(執筆:荒木津香佐)



ページの先頭に戻る